「上昇病院シリーズ」の第4弾として紹介するのは、岡山県の倉敷市にある松田病院の経営改善事例です。
松田病院は、2016年度における医業利益が約7,800万円の赤字という苦しい状況でしたが、2017年度は約7,300万円の黒字、2018年度は約9,800万円の黒字と劇的な経営改善を実現しました。
今回は院長の松田忠和先生を訪ね、経営を立て直すためにどのような取り組みを実施したのかをお伺いしてきました。
当院は、1955年に私の父が開設しました。私が引き継いだのは1985年です。病床数は135床(7対1一般病床97床・療養病床38床)で、消化器のがん治療を中心とした外科系の専門病院として運営しています。
当院の周辺には倉敷中央病院や川崎医科大学附属病院といった大規模病院があります。患者さんの大病院志向が高まる中、そういった病院と同じことをやっても患者さんは集まりません。大きな病院に負けない医療を提供することを心がけています。
肝胆膵外科の領域では地域有数の症例数を誇っています。また、この地域で消化器の救急手術ができるのは当院を含め3病院しかありません。小回りの利く中小病院の特性を生かし、他院での治療を断られた患者さんの受け入れなども積極的に行っています。
負担がかかるのは事実ですし、維持するのも大変です。ただ、緊急手術のできる体制を作り、継続する難しさを知っているからこそ、使命感をもって取り組んでいます。これまで数十年かけてチームを育ててきたので、いつでも動ける人員と環境が揃っています。
珍しいことではありません。大病院とは違って一人の患者さんと向き合う時間が長いので、「待てよ…」、「もしかすると…」、「こうすれば…」とチャレンジするうちに良くなるケースもあります。移植医療に携わった経験もあるため、普通では諦めてしまうような状況でも「何とかならないか」と考えるようにしています。
一人の医師が一貫して診療を行います。患者さんの中には私が30年以上診ている方もいます。患者さんの人生を引き受けるという意識をもって地域に密着した医療を提供しています。
大きな理由としては2点あると考えています。1点目は医師が3名退職したことによる給与費の削減、2点目はジェネリックへの移行を進めたことによる医薬品費の削減です。
残った医師を信頼していました。結果として3名の医師が退職した2017年度は増収になりました。地元の大学を出て10年が経過した働き盛りの医師が定着するなど、能力の高い医師は残っています。少数精鋭となったことで患者さんからの評判も良くなっています。
まず「どういう医師になって、どういう医療をやりたいか」を確認します。ただ漫然とこなす医師と、目的意識を持って努力する医師では天と地ほどの差が出ます。また、「医師の仕事が好きか」も大事だと思っています。そういった医師を確保するには人脈が必要です。地元には古くからの知り合いも多く、良好な関係を築けています。
最も大事だと考えているのは、私自身が努力を怠らないことです。経営者が尊敬できる人物でなければ、他の医師はついてきません。常に周りから見られていることを意識して行動しています。
経営者として、試用期間中に医師としてのスキルや資質が足りないと感じた時は断る勇気も必要だと思っています。医師の評判は病院全体の評判を左右しますし、患者さんの命にも関わることなので、どれだけ人手が足りない時であっても妥協は禁物だと考えています。
外部から改善の余地が大きいとアドバイスを受け実施しました。本来であればもっと早く取り組めたと思うのですが、医療にばかり熱心で経営を疎かにしていた面がありました。
「これだけ働いて赤字になるのはおかしい」という違和感がありました。当時は事務サイドから経営に関する提言が上がってくることが少なかったので、コンサル会社に分析を依頼しました。
赤字でもキャッシュが減らなければ問題ないという考えをもっていたようです。ただ、冷静に考えると黒字化して借金を減らさない限り新たな投資はできません。変化の激しい時代に挑戦する余力がないのは致命傷になります。改善活動を通じて認識のズレを解消できたことにより、今では職員にコスト意識が出たと感じる機会が増えています。
医療材料の価格交渉に現場のスタッフが関与するケースが増えてきました。以前は事務部門で対応することがほとんどだったのですが、カテ室の女性MEが使用物品の絞り込みや価格交渉をしているのを見たときは頼もしく感じました。材料の価値や細かな違いを分かっているスタッフが関与した方が、交渉を優位に進められるという気付きもありました。
経営と直結する事例ではないのですが、放射線科の技師長が定年になった際、経歴的には3番目の職員を技師長に抜擢しました。以前から優秀なスタッフだったのですが、技師長になってからは見違えるように成長しました。手術時や読影時など、積極的に意見するようになり、取り入れることもよくあります。チームとして機能している実感があり嬉しくなります。
説明の場を設けたところ納得してくれました。最近は技師長から刺激を受けているようで、放射線科は全体的に底上げできていると感じています。
経営者が細かく指示を出すよりも、現場が自ら変わろうとしてくれた時の方が変革のスピードは速いと感じます。
スタッフをしっかり見て、それぞれの能力を把握して、正しく評価することを意識しています。あとは、率先して挨拶することだったり、大変な思いをしたスタッフに「お疲れ様」と声をかけることだったり、当たり前のことを当たり前に実施することが重要だと思います。
いま息子が岡山大学の第一外科にいます。もう少し勉強させてやりたい気持ちもありますが、2020年の春に帰ってきてもらう予定です。私自身が父の代とは違う病院にしてきたこともあり、これからどのような病院にするのかを考えるのは息子の仕事だと思っています。ただ、私が診ている患者さんは出来る限り診ていたいと思いますし、手術もIVRも続けていきたいと考えています。
私が戻った時は病床規制が始まる頃で、人材の奪い合いが生じていたため、看護師が足りませんでした。どうにか集まったと思ったら、今度は10数名の看護師に囲まれ、「老朽化した看護師寮をどうにかしてくれ」と言われました。どうせ建てるなら満足するものを作ろうとした結果、借金に借金を重ねる状況になり辛かったことを覚えています。
意識して差別化しようとしたことはありません。もともと「医者バカ」なところがあり、経営について勉強してこなかったので、初めて銀行に事業計画書を出した時は呆れられました。私は肝胆膵の領域でやりたいことをできる体制を作ってきただけなのですが、やりたがる人の少ない領域だったので、たまたま差別化できたという印象です。
手術時間は長いですし、患者さんはしばしば亡くなります。訴訟リスクもあり、仕事として捉えた時にやりたいと思う要素は少ない気はします。私はこの仕事が好きで、今でももっと上手くなりたいと思いながら働いていますが、そうでなければ続かないと思います。
現代は外科医の成り手が減っており、肝胆膵外科を目指す人は更に少数です。当院は日本肝胆膵外科学会の高度技能専門医修練施設Aを取っており、熱意のある医師にきてもらうことは大歓迎ですが、いまのところは応募者がいないのが実情です。
C型肝炎でパラダイムシフトが起きたことで、「肝臓の領域は終わり」などという人もいます。しかし、脂肪肝などは増えており、全く終わりではないことに気付いている医師は多くありません。この時代だからこそ勉強する価値はあると思います。
やってほしいというよりは、この病院の患者さん、この地域の患者さんを守るためにやっていかなければいけないと思います。息子も同じ考えを持っているようで、熱心に勉強しています。当院には「肝臓が悪かったら松田病院へ行ってみたら?」と紹介される患者さんが多くいます。他の病院に断られてから来る患者さんに対して「よう診ません」とは言えません。
今は亡くなってしまいましたが、姫路中央病院の岡野先生と働いていたときに、こまめに患者さんを診る姿を目にしていました。患者さんが亡くなった時にすがりついて泣いていたのを見たこともあり、その影響は大きかったと思います。
父から「お前は不器用だ」と言われて育ったので、周りの医師より何倍も努力しないと一人前になれないと考えていました。1ヶ月に27日当直したり、先輩が到着するまで裂けた肝臓を2時間抑え続けたり、救急搬送された全ての患者さんの撮影、麻酔、手術までを一人で実施するという経験をしてきました。
夜中に連絡があるということは、何か起きたということです。私は気が小さく、放っておくと不安で眠れないので、ほとんど診にいくようにしています。見に行くと患者さんやご家族が安心してくれるので、お安い御用だと思っています。
体力的にきついと感じることはありますが、気が滅入ったりすることはありません。未だに成長した実感が得られる瞬間もあり、医師としての仕事を楽しんでいます。ただ、私は好きでやっているだけなので、要求されてやるようなことではないですし、他の医師に要求することでもないと思います。
私が特に優れている訳ではなく、世の中に良い医師は何人もいます。後輩の若い医師を見て感心することも多くあります。
私は、この仕事を通して患者さんと人生を共有することを楽しんでいます。これからもできる限り続けていきたいと思います。
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